「本当に馬鹿な野郎だな」
まるで予め知っていたかのように禿頭の男はサイファンを迎えた。部屋の中央の椅子に座っていたが、サイファンを認めると同時に立ち上がる。
「俺を馬鹿だと言えるあんたはさぞかし賢いんだろうな」
元々は控え室か器具を置いていた場所なのだろう。綺麗に片付けられた部屋は十分な広さを持ち、他に誰かが隠れるような場所も見当たらない。それでも、警戒は解かずに部屋の中へと踏み入れる。
「安心しろ。この部屋には俺しかいない」
「へえ、敵の言うことを素直に信じろとでも? その方が余程の馬鹿だぜ」
「成る程な。確かに道理だ」
軽装の皮の鎧を身に着けた禿頭の腰には、二本の剣が下げられている。その内の一つは目を引く鮮やかな真紅だ。見間違うはずも無く、サイファンの手を離れたあの剣に違いない。
探し物の一つは見つかったが、もう一つのありかは分からない。ここからでは気配は感じられない。禿頭の向こうに見える扉の先にいるのかどうか。それは開けてみなければ分からない。
「……あいつはどこだ?」
「あいつ――なんて知らないな。それに、俺が言うことをお前は信じるのか? 敵の俺が言うことを」
勿論信じるはずもない。信じるとしたら、力関係を理解させて、圧倒的高みから問うときだけだ。
それでも、禿頭の皮肉な笑みは苛立ちを生む。
冷静になれと自分に言い聞かせるが、どうしても譲れないものが生まれる。決して相容れることはないと理由もなく理解さえしている。白刃を交えているわけではないが、しかし言葉は互いに相手を切ろうとしているのだ。
お互いがお互いに認められない。
それだけが唯一の共通認識に違いない。
「名さえも分からない見知らぬ女のためにこんな場所にまで乗り込んでくるとはな……アレが初めての女だったのか?」
「ゲスな考えだ。そんな理由でこんな無謀に挑むのはガキだけだぜ」
そう、サイファンはもう子供ではない。子供でいられる時間は終わってしまったのだ。
だからこそ、ここにいる。
「ならばお前はどうしてここにいる? 誰かの欲望の部品に情けを持ったか? 人の形を模しただけの人形にどれだけの価値がある? この剣を取り返しに来たという方が余程納得できる」
「まあ、それも理由の一つ……かもな」
だが、やはり最大の理由は女の奪還だ。
「女を抱くだけならば金で解決できる。どうにもならないことは目を閉じて耳を塞いで、やり過ごせばいい。自分に制限をかけて確実に出来ることだけを取捨選択して生きていけば決して傷つかない」
「それの何が悪い? 届かないものに手を伸ばし、自らを傷つけ、何も得られず、守るべきものさえ失うことのほうが愚かだ」
「そうかもしれないな」
禿頭は自らの生き方を誇っている。確たる自信を持って現在を生きている。
自らを肯定してこの場所に立っている。
禿頭の守るべきものが何かなどサイファンに分かるはずがない。しかし、それを守り通しているからこその自信であり、誇りであるはずだ。その禿頭に仲間もついていくからこそ、団が成り立っている。
かつての自分たちもそうだった。団長の語る理想を共に抱き、いつか共にたどり着くことを夢見ていたのだ。
酷く羨ましい。
純粋にそう思う。禿頭はサイファンが失ってしまった過去の先に今もいるのだ。その禿頭の生き方を否定できるはずがない。それはサイファンがどれだけ望んでももう手が届かないものなのだから。
しかし、と言葉は続く。
「そんな生き方じゃあ、俺たちは満足できなかったんだよ」
それはどうしようもない欲だ。
現状に満足できなかった。もっと素晴らしい何かがあるはずだ。もっと楽しい時間があるはずだ。振り返っても無いのならば、この先にあるに違いない。そう思い、そう願い、誰もが戦い、そして生きてきた。
その果てに命を失うことになろうとも、一片の後悔すらない。
何故ならば、命とは使い潰すものだからだ。
生まれた瞬間から死は不可避のものとして定められている。その死から逃げて命をすり減らし、いつか来る終わりをただ享受する。そんなものは認められなかった。満足な生とは、満足な死に他ならない。
太陽を掴もうとし、その火に焼かれようと、それは本望だ。
星を掴もうとし、その姿を滑稽と笑われようと、それは本望だ。
「下らない。全く下らないな。貴様も奴らも徒に命を捨てただけだ」
「間違えるなよ。命を捨てたんじゃあ決してない。――命を賭けたんだ」
「傍から見てる分には何も変わらない。愚かなだけだ。折角助かった命をまた捨てようというのだからな」
言い、禿頭は剣を抜き放つ。本来は室内であれば取り回しに難儀するのだろうが、この部屋は剣を振るえるだけの広さがある。淀みなく白刃は引き抜かれ、その鋭い銀光でサイファンを照らす。
真紅の剣を抜かないということは、抜けなかったのだろう。今も腰に下がったままの剣は沈黙を保っている。自らの手の内にあるうちは気にしなかったが、他の誰かの手にあると落ち着かないものだ。
だが、サイファンが感じている最も大きなものは全く別なものだ。
女を奪い返す。剣を取り戻す。確かにそのためにここに来た。
そして、それらが今は全てどうでもよく感じている。
「さあ、俺に再び確認させてくれ。お前たちの生き方はどうしようもなく愚かなものだと」
禿頭の握る白刃を見ても、身が竦むこともない。
一つ呼吸を作れば、確かに分かる。身体はその瞬間を待っているのだ。
「そのあんたがどうしてここに一人でいる?」
サイファンを排除するだけならば、一人でいる必要はない。多人数で一方的に状況を終了させてしまえばいいだけだ。それなのに、禿頭はここに一人でいる。
まるで、禿頭自身が下らないとそう断じる生き方のように。
「下らない意地さ。一度とはいえ、貴様に不意を取った。下らないと思う貴様にだ。ならば、その恥は雪がなければならない。そんな汚点は俺の人生に残しておけない。それだけだ」
「ああ、そうかよ」
禿頭は自らの意思と想いによってここに立っている。
ならば、サイファンも応えなければならない。
「……俺を……下らないと、愚かだと言うのは構わない」
サイファン自身、それを否定することはまだ出来ない。
「だがな」
そう言葉は続く。何故ならばまだサイファンの人生は終わっていない。
「皆の生き方までも侮辱したのは許せない。誰が許そうとこの俺が許さない。俺の大切な人たちが汚されて許せるほど度量は広くない」
クエールド傭兵団はもうない。皆はもういない。ただ夜空に星が輝いている。
だが、サイファンはここにいる。
あの日抱いた想いが途絶えたわけではないのだ。
託したのだ。託されたのだ。
想いを受け継いでサイファンはここにいる。
忘れようとしても忘れることが出来るはずがない。その想いは、サイファンの心に刻まれている。死して、この身が朽ちようとも、想いだけは常に共にある。
そうであるのならば、許してはならない。
大切な人の想いが踏み躙られることを。侮辱されることを。
そして、受け継いだのならば、自らの生き方をも侮蔑されることを許してはならない。それは受け継いだ全てを自らが汚すことに他ならない。
その想いを誇るのであれば、戦わなければならない。
胸の内に宿る怒りが教えてくれる。想いに対して余りにも鈍重な身を急き立てる。
過去の全てを肯定することは難しい。しかし、過去を否定してしまえば現在をも否定することになる。
どうすればいいか。そんなことは決まっている。
戦うのだ。
この身にある全てを以って戦い、そして勝利する。何故ならば、想いを受け継いだこの身には全てがある。誇りも、想いも、過去も、経験も、知識も、ありとあらゆる全てがこの身の内にはある。
「俺の全てを賭けて、――俺は貴様を打倒する」
全身全霊。これほど相応しい言葉はないだろう。
あらゆる過去の果てにこの現在があるのならば、出来ないはずがない。
サイファンもまた、自らの腰に下げた剣の柄に手を当て、静かに握る。そして、一息で引き抜く。小気味のいい刃鳴りを響かせて、剣は間違いなくサイファンの眼前に現れる。
どれだけ待たせただろうか。錆付くほどの時間が経っていたのかもしれないが、それでも身体は申し分なく応えてくれる。
全てを引き出し、過去を踏破し、現在を突き進み、望む未来を得るために。
「サイファン・クエールド――行く」
戦場での名乗りなど時代遅れもいいものだ。しかし、名乗らなければならなかった。自分が誰であるか、そして誰であろうとするかを明確にするために。
「ガノフ・スギッド――来いよ」
それを理解するかのように、禿頭もまた応じる。
自らの生き方を肯定するからこそ、刃で以って対峙するしかない。
ただただひたすらに、自らの想いに殉じるために。
それこそが生きると言うことだといわんばかりに。
無粋と言うものは誰もいない。全てが全て望まれたことだ。
