闘争の開始

逃げては得られず
避けては届かない
それは余りにも確かなこと

 一度目は不意打ち。二度目も不意打ち。
 三度目にして、サイファンとガノフは初めて正面からぶつかる。
 互いの戦意と決意は確かめられた。ならば、もうそれ以上の言葉は要らない。
 ただ全ては勝利のために。
 二人が動いたのは全くの同時だった。サイファンは牽制のために左手で礫弾を放ち、ガノフは椅子を蹴り飛ばした。
 奇しくも先ほどサイファンが取った行動と同じであり、考えるまでもなく効果的だ。礫弾は椅子に弾かれるが、椅子は礫弾を弾く。またサイファンの視界を遮り、ガノフの行動の予測を困難にさせる。避けても受けても、確実に動きは遅れ、その隙を突かれれば敗北は必至。
 だから、サイファンは前へと行く。身を低くし、床を舐めるような低姿勢で一足と共に一気に椅子の下を抜け、そのままの勢いで伸び上がるように剣の一撃を放つ。
 ガノフもまたそれを読んでいたかのように振り下ろしの一撃で迎え撃つ。
「おおおおっ!」
 歪な十字を描く白刃の交錯と共に響くのは、耳朶を揺らす鋼と剣士の重唱。視界に火花を残して、刃は束の間の逢瀬を果たす。
 二人にとっての初めての剣による打ち合いはサイファンの負けだった。刃は弾かれ、無防備な姿を晒してしまう。返す刃が迫るのが分かる。弾かれた刃は間に合わない。腰の短剣では防げない。
 判断は一瞬。瞬間的に対人外用にまで肉体の強化を引き上げ、思考さえも置き去りにする勢いで横へと飛ぶ。室内で後先も考えずに跳べば、当然のように背中で壁に着地することになるが、構っていられない。肉体の軋みと共に肺の空気が漏れ、視界が狭まるのを感じながらも、左手で撃てるだけの礫弾を放ち、追撃を阻む。
 しかし、ガノフは構わずに追ってきた。左腕で目だけを庇いながら、後は委細構わずに距離を詰める。皮の鎧の上からでは礫弾は効果が薄い。痛みを与えるためには、鎧の隙間を狙わなければならないが、逆に狙いも定まらない攻撃など怖くはないのだろう。
 迎え撃てるかどうか。咄嗟の自問が頭の中に浮かぶ。
 先ほどの一撃で手が痺れている。傷を負った体であるとはいえ、十分に身体能力は強化した上での一撃だった。だが、ガノフの一撃はそれを上回り、サイファンの剣を弾いた。
 単純に力負けしたのだ。
 力が強いということはそれだけで強さにつながる。いくら魔力で強化できるとはいえ、元は人間の身体であり、それに応じた限界というものがある。当然のように元の肉体が頑健であればあるだけ、強化にも耐えられる。
 サイファンも身体を鍛えているが、ガノフはそれ以上だ。頭一つ分は大きく、四肢もサイファンよりも太い。引き絞られ岩のような筋肉を持つ肉体に応じるように、握る剣もまた通常のものよりも厚い。
 真正面からの打ち合いは不利だ。瞬間的にならば上回れるかもしれないが、傷を負ったままの肉体ではいつ破綻が来るかも分からない。この後の女の奪還を考えるならば余力は残しておかなければならない。
 それが出来る相手かどうか、そんなことは分かりきっている。それでもやらなければならないのだ。結局、物事が最後に行き着くところはとても単純だ。
 大気を割り砕くガノフの剛の一撃が迫る。真っ直ぐに振り下ろされる剣は正しく脅威であり、ただ受け止めるだけでは今度は剣ごと両断されかねない。それほどの重さがあった。事実、手の痺れは未だ取れていない。
 逆に言えば、ただそれだけのことであり、それ以上のことではない。
 サイファンは知っている。剣を握り、それを教え込まれた。叩き込まれた。鍛え上げられた。その全てがサイファンの中にある。
 剣を浅く握り、縦の一撃に対して横に構える。それ以上の動きを見せないサイファンにガノフが眉を立てるが、疑問すら両断するように短い呼気と共に剣を振り下ろす。
 再び描かれる剣の十字。ただ先ほどのように鋭く短い鋼の響きは無く、代わるように鋼の薄く引き延ばされた鳴き声が響く。鳴き声を響かせるのは二つの刃に変わりないが、しかしガノフの切っ先はサイファンへと届くことなく、虚空へと流れる。
 サイファンの刃がそうさせた。
 刃を刃で以って導き、逃がす。受けられないのならば、流せばいいのだ。柔も剛もどちらか一方だけの剣を教えられたわけではない。剛でかなわないのならば柔で挑み、柔でかなわないのならば剛で挑む。あらゆる手練手管を用いて勝利することこそが、サイファンの教えられた剣だ。
 一撃を流して、そのままガノフの身体が流れた隙を突いて壁際から脱する。そのまま攻勢に移ることは考えなかった。手の痺れはまだ完全に取れておらず、ガノフもまた油断はしていなかった。今まで一度もガノフは魔法を使わなかった。剣の間合いの外であれば攻撃手段は無い。
 二人にとっては互いに一足の距離で再び対峙する。
 たった二度の打ち合いで最早サイファンの息は上がりかけていた。傷が熱を帯び、身体が火照っている。剣を振るたびに背中に痛みが走り、集中が途切れそうになる。服の下で滲む血が体力と体温を奪っていくのが実感できる。
 長引けば、長引くだけサイファンに不利となる。
 それを理解してなお、サイファンの内にある炎は燃え盛っていた。嬉しいのだ。自らの内にある全てを以って自らの望む先へと至ろうとしていることが。今までのように状況に流されて消極的に戦闘という手段を選んでいるのではない。自らの望む先に至るために必要であり、その勝利こそを求めているからこその戦闘だ。
 積極的に自ら望んで、自らの全てをぶつける。そうしなければ超えられない相手であり、至ることの出来ない場所だ。
 嬉しくないはずがない。ここはあそこなのだ。
 皆が立っていた場所なのだ。自らの望みのために、自らの意思で挑む戦場。
 ようやくここに立つことが出来た。子供でいられる時間は終わり、かつてのあの人たちのように自らの守りたいもののために戦う。刃の煌きが身を竦ませることは最早無い。刃とは自らの意思を乗せて想いを顕現するためのものなのだ。
 そうであるのならば。
 何も恐れる必要は無い。何も憚る必要は無い。何も迷う必要は無い。
 勝利へと至る道筋は確かにサイファンの中にある。
 そして、この先に至ることがサイファンに託されたものでもあるのだ。
 ――行く。
 思えば、身体は動いていた。
 手の痺れは既に無く、理解の喜びが身体を突き動かす。サイファンの動きを受け、ガノフもまた迎撃のために間合いを詰める。柔と剛の剣が火花を散らし、鋼の重唱と互いの呼気だけが室内の静寂を埋めていく。
 共に凡人。ただそれだけで勝敗を決するものは無く、お互いの全てを賭けて一瞬一瞬を積み上げていく。一度でも対応を誤れば、即座に敗北へとつながる薄氷を踏み渡るような危うい感覚。人外を相手にするものとは全く違う、命だけではなく己の誇りをも賭けた戦い。
 熱い。玉の汗が浮かび、顎の先から滴る。柔の剣で剛の剣を捌いているが、一撃でも受け間違えればそれだけで致命となる。出来ると分かっていても、精神が削られていく。肌に届く剣圧はそれだけでも脅威だ。心が現実の圧力を受け、軋んでいくのが分かる。
 しかし、と心は叫びを上げる。
 死んでしまえばいいのだ。
 ここに来たのはサイファンの意思だ。この先を望んだのはサイファンの意思だ。
 全ては自らの選択の果てにここに立っているのだ。
 ならば、勝利にしか意味は無く、敗北は絶対の喪失に他ならない。
 そうと思い、そうと望み、そうと決め、そうと動き、それでもなおそうと生きられないのならば死んでしまえばいい。そんな生はひとつとして求められていない。
 それだけのことだ。
 心の軋みの意味が変わる。敗北に至る考えを抱くのではない。勝利だけを求めればいい。敗北すれば目の前の現実が速やかに殺してくれる。軋るのならば己の不甲斐なさだけに軋るのだ。
「うぅぅ……らぁぁぁぁっ!」
 心の叫びと自らの叫びが重なる。
 疲労が確かに蓄積していく中、逆に剣撃は徐々に加速していく。己の限界に挑むように二人が互いに速度を上げ続けている。そして、互いに剣だけでは捌ききれなくなり、体を交えていくが、それでも刃は身を掠めていく。そのどれもが浅い傷だが、血が流れればそれだけ体力を失っていくことは道理だ。ただしそこには差がある。ガノフが身に着ける皮の鎧はその厚さの分だけ確かに損傷を防ぐ。サイファンには身を守るものは一つとしてなく、傷が増え続け、さらには完治してない傷も開き、包帯だけではなくついには服もが血の赤に染まりだす。
 埋めようの無い装備の差がサイファンを追い詰める。剣もが打ち合いの果てに悲鳴を上げるかのように、段々と限界に近づいているのが分かる。いくら受け流すといっても、完全に力を殺せるわけではない。ガノフの力を乗せた肉厚の刃は確実にサイファンの剣の寿命を削っている。
 勿論、このまま敗北へと向かうつもりは無い。
 柔の剣で剛の剣を受け流すことが出来ても、その先の攻勢にはつなげられない。現役として戦い続けてきたガノフの経験が、サイファンの技術を抑えている。衰えたとは思いたくないが、現実は無言で告げている。
 だからといって諦めの選択はもうサイファンの中には無い。
 数え切れない打ち合いの果てにその瞬間はやってくる。
「――――!」
 ガノフが剣を流されるのを嫌い、魔力による強化を増加させ、無理やりに力の方向を変えてサイファンの剣を押し込む。一気に力の圧が上がったことにより、肉体と剣の両方の軋みが生まれる。流すことは出来ない。力の流れに無理に逆らおうとすれば、抵抗することであり、そこには力の激突がある。無理な状態からでは流すことは出来ない
 だが、それこそサイファンが待っていた瞬間だ。
 ガノフの力は確かに強いが、サイファンの強化は対人間だけを想定したものではない。弱く脆い人間が強大な人外に仮初の間であろうと、相対するためのものだ。
 瞬間的な出力ならば、サイファンに分がある。
「おおおおおおおおっ!」
 軋む身体に無理を強い、真っ向から押し返す。続く打ち合いは一度二度と今まで以上に鋭い剣閃が閃き、三度目にしてガノフの剣を弾き飛ばす。
 体勢が崩れ、無防備な姿がそこにある。
「――――ッ」
 ガノフの顔に浮かぶ悔恨の表情に、知らず仄かな優越の感情を抱く。
 そんな感情を置き去りにして、返す刃を振るう。最早感情さえもサイファンの肉体には追いついていなかった。ただただ勝利を求めてだけ剣が走る。
 剣から伝わる感触は硬く、そして確かなもの。
 響いたのは、鈍く曇りながらも澄んだ音。
「――!?」
 サイファンが見たのは、自らの剣が砕け散る瞬間だった。
 そこには疑問も不思議も何一つ無い。刃の砕けた剣を振り切ったサイファンは既に理解していた。ガノフが左手一本で腰に下げたままだった真紅の剣を鞘ごと抜き、サイファンの剣を阻んだのだ。人外の一撃さえも防ぎ、傷一つつくこと無いものに全力で剣が当たったのならば砕けるのは道理だ。
 本来ならば、間に合うはずの無い行動だった。ガノフは剣を弾き飛ばされた時点で、体勢が崩れ、腰の剣を抜こうとしても間に合うはずがなかった。しかし、現実はサイファンの予想を覆している。ガノフの強化はあくまで対人用のものだったはずだったが、剣を抜き放った左腕が血に染まっている。恐らくは先の一瞬のために自身の知らない領域まで強化率を上げたのだろう。だからこそ間に合い、だからこそ左腕を犠牲にしたのだ。
 その果てにあるのは、立場の逆転だ。完全に剣を振り切り、身体に無理を強いた状態では、間に合わない。ガノフの蹴りが腹に吸い込まれるのをどこか他人事のように見ていた。
 だが、痛みは自分のものだ。傷が治っていない腹に蹴りが刺さり、口から濁った血の泡が零れる。痛みによる呻きが漏れる。痛みで意識が朦朧とするが、激痛が辛うじて意識をつなぎとめていてくれる。
 ここで意識を失うわけにはいかない。
 まだ戦いは続いているのだ。
 吐き出した血と共に、舌の下に収めていたものは既に放たれている。
 血に塗れたそれは、室内の明かりを受けて鈍く輝く。
 輝石。
 既に魔力は込めてある。後は意志が命じるだけで内に秘めた力が顕現する。例え、腹を再び蹴られても無駄だ。意識を刈り取らなければ意味が無く、もう遅い。
 力は顕現する。
「――燃えろッ」
「く……っ!?」
 輝石が砕け散るのと引き換えに世界に顕現したのは、一瞬で燃え広がる炎の塊だ。以前に女が輝石に封じた着火には強すぎる炎が室内を赤く照らす。
 炎の勢いも熱も平等に二人に降りかかるが、ガノフには届かない。その手にする剣は他を寄せ付けないだけの力を持っている。しかし、ガノフはそれを知らず、理解していない。驚きから咄嗟に身構え、硬直して反応が遅れる。一方、予め知っていたサイファンは炎の熱さに耐えて動くことで機先を制する。
 炎の中に足を突っ込み、真紅の剣を蹴り飛ばす。足が焼けるが、どうせ一瞬で消える炎だ。その一瞬を無駄には出来なかった。
 ガノフの手にはもう武器は無い。お互いに無手での勝負となるが、ガノフの左腕が使い物にならない以上、決着は容易なものだった。左腕が動かない不足を補おうと意識が必要以上に上に向いたところで、足を払い、鳩尾を踏みつける。肺が空気を完全に吐き出したことを確認して、顎を蹴りつける。
 それでも抵抗しようとするガノフののど元に再び手にした真紅の剣を突きつける。
「――俺の勝ちだ」
 手加減はしていなかった。その結果、殺しても仕方が無いとも思っていた。だが、別に殺すために戦っていたわけではない。
 己の誇りのために戦っていたのだ。
 そのために全てを出し切って戦った。そして、現在に至った。
 ガノフは倒れ、サイファンは立っている。
「ああ……」
 それに応えるようにガノフは息を吐き、
「俺の負けだな」
 力を抜いて自らの敗北を認めた。
 ガノフがまだ向かってくるのならば戦うつもりだったが、お互いに全てを出し切った。これ以上のものは無理だ。ガノフは一人で戦う必要が無かったはずだが、それでも一人で戦う事を選んだのだ。
 サイファンもようやく一つ息を作れる。戦闘の緊張が終わり、力が抜ける。
 剣を下げても、ガノフには抵抗の意思は感じられなかった。
「だけどな」
 しかし、そう前置きしてガノフが告げる。
「お前はまだ勝っちゃいないさ」